海の祭レポート
礼文島厳島神社例大祭(北海道礼文町) 開催日:毎年7月14日、15日、16日
日本最北の島、礼文島。現在は、漁業と花の島として夏には多くの観光客も訪れますが、そのルーツは北前船交易による繁栄にあります。礼文島はニシン漁やリシリコンブ漁に恵まれた漁場をもち、そのために東北地方などから漁民たちが移り住み、島での生活空間を築いていきました。毎年7月14・15・16日に行われる厳島神社例大祭は、そうした礼文島のルーツが感じられる漁師のお祭りです。有名な「ソーラン節」にも繋がる沖上げ音頭と呼ばれるニシン漁の作業唄を唄いながら神輿を担ぎ集落内を練り歩き、神様の前では掛け声に合わせて神輿を宙に放ります。今回の取材では、お祭りに参加させてもらいながら、お祭りに様々な立場から携わる方々に、お話を伺ってきました。
厳島神社例大祭は、北前船交易による漁場の繁栄に端を発します。豊かな漁場を求めて集まった東北地方の漁民たちが、無人の礼文島を開拓し、移り住んでいったのです。北前船交易では礼文島で獲れるコンブ・アワビ・ナマコ等の海産物、そしてニシンを原料とした油と肥料が重宝され、礼文島の漁場も拡大、その最盛期には島の人口もなんと1万人以上ともなっていたそうです(ちなみに現在の人口は約2500人です)。
厳島神社例大祭は、こうして島での生活を築いていくなかで、移住した漁師たちによって築かれた神社で始められたお祭りです。お祭りでは、ニシン漁の作業唄「沖揚げ音頭」を唄いながら(「波声(ハゴエ)」と呼ばれます)、島の男性達が神輿を担ぎ、子供達は四ヶ散米舞行列を舞い神輿を先導します。ニシン漁場での様子と北前船交易によって上方から運ばれてきた文化が混在している様子が見られます。
お祭りは毎年7月14日~16日の3日間。この3日間は、どんなに漁がしやすい波がない「凪(ナギ)」であっても、漁船を出さない「沖止め」となります。お正月と祭りだけが島の漁師さんたちの決まったお休みです。
15日本祭りの朝は7時前に神社に皆集合します。お神酒を分かち合い、神輿の準備を行い、出発です(神輿の担ぎ棒を縄で絞めるのも、さすが漁師さん、手際よくキツく締め上げます)。人数が揃わないと持ち上げられないほど立派な神輿を担ぎ、波声にあわせて地区内を練り歩きます。そして、お祭りの一番の特徴は、神輿を宙に放るところ。お神酒を上げている家々、各集落の神社の前に到着すると、沖上げ音頭の「ドーッコイ」という掛け声とともに、神輿を宙に放り投げます。この掛け声はもともと、ニシン漁で力を合わせて網を引き揚げるときのものでしたが、お祭りでは掛け声によって担ぎ手の息が合わさり、神輿が波打つことなく水平に見事に宙に上がります。
神輿を宙に放る様子
神輿の担ぎ手の方々に話を伺うと、皆、口をそろえて「神輿を担いで歩くこと」「神輿を宙に放ること」これだけは残していきたいと言います。私はこの思いの背景には何があるのだろうか、そんなことも考えながらお祭りに参加していました(詳しくは「取材後記」にて)。
ニシンの群れが産卵のために岸に押し寄せる「群来」は昭和29年を境にパタリとこなくなり、ニシン漁場は終焉。漁業形態も島自体の産業構成も変化していきました。かつては漁師だけで構成されていた神輿の担ぎ手も、いまは島内の方々そして島外の方々にも広がっています。こうした変化のなかで薄れていくものもあります。かつては意識しなくても祭りに対して皆共通の思い・姿勢で臨んでいたかもしれませんが、今はある意味、意識しなければならないのかもしれません。
何を残して、何を許容するのか。島の方々が残さなければならないと思うお祭りの要素、それがお祭りの核の部分が表現されたものなのだろうと思います。はっきりとは誰も言いませんし、答えがあるものではありませんが、礼文島の厳島神社例大祭では「神輿を担いで練り歩くこと」「神輿を宙に放ること」にお祭りの核が表現されているのだろうと感じます。「昔は今と比べ物にならない程、高く宙に上がっていた」「水平にきれいに神輿を上げるには経験とリズムが必要」こうした島の方々の言葉からも強い思いが感じられました。
また、島の方々の話からは、自然への感謝、先代への敬意、島のルーツを残したいという思いも感じられました。そして、一年に一度、普段は同じ島内にいてもなかなか話す機会のない仲間と沖上げ音頭を唄いながら神輿を担ぎ、汗をかき、お酒を交わし、一日を過ごす。島の過去と現在、島と人、人と人とを繋ぐ、とても重要な存在だと感じます。
かつてのニシン漁場(陸)の様子(出典:礼文島遺産ミュージアム)
島の若い漁師の三浦さんは言います「楽しくなきゃ祭りじゃない」「思い切り楽しむ空間をつくる人間が必要」。実は9年程前にも三浦さんに話を伺っていました。その時の「祭りがあるから島に住んでる」という言葉が今でも強く残っています。9年前に聞いた言葉、そして今年聞いた言葉、そこには三浦さんの祭りに対する強い思いとある種の責任が感じられました。
三浦さん(写真右)とマツリズム大原(写真左)
お祭り当日、三浦さんは「全力全開で!楽しんで!」と送り出してくれ、私も全力全開でお祭りに浸りました。そこには、年齢問わず全力で楽しむ人達、その空気をつくる人が確かにいました。都会には無い人の繋がりがあり、その空間をつくり守る人の姿がありました。
島の漁師・佐藤さん(写真右)と小坂(写真左)
礼文島の子供たちは多くの島と同様に、中学校を卒業すると島外へと進学・就職していきます。青春時代を島外で過ごし、島外で就職をする、そうするとなかなか島に戻る機会が出来にくいのが実情です。
実際に、仕事や家族の関係で島に戻り定住することは難しいかもしれませんが、「1年に1度この祭りには皆帰ってくるようになってほしい」、ただし「言うのは簡単だがやるのは難しい。何をやるべきかしっかりと考えなければならない」と三浦さん。本当にその通り。私達も島外の人間として出来ることは何なのか、真剣に考えさせられました。ここで提言することは出来ませんが、ただ言えることは、島のルーツを伝え、島と人、人と人を繋ぎとめる、そうした力をお祭りがもっているということかと思います。島の外に出ても、島の人たちの蓄積に触れる、懐かしい人との再会をつくる、そうしたことが祭りなら出来ると感じました。
礼文島の厳島神社例大祭は、今年取り上げているお祭りのなかでも、特に生粋の漁師の祭りという色が強いと思います。島の方々が言っていた「神輿を宙に放る」ところ。このときの「ドーッコイ」という掛け声は、沖揚げ音頭(作業唄)ではきついニシン漁の最後の最後に沖に揚げるフィニッシュの瞬間の掛け声であり、そこにはその瞬間の喜び、無事に帰ってきたことへの感謝、自然資源への感謝、神様への感謝など、様々な感情が込められているのではないかと思います。
また、お祭りでの波声もニシン漁の作業唄と同様の役割を果たしているんだなと思いました。つまり、ニシン漁では漁師達の、神輿では担ぎ手達の、エネルギーが最大になるように動作のリズムをとっています。意図はしていなかったかもしれませんが、漁での重要な瞬間と役割を、神事である祭りにも取り入れ、そのことによって現代までも残っています。
島の方々が、共通して「神輿を担いで練り歩くこと」そして「宙に放ること」だけは残したいと言っていたのは、こうした背景を”感じている”からなのかなと感じました。 また島の社会構成が変化しているなかでは、こうしたストーリーを語り継ぐ何かが必要なのだと思います。かつては、神輿の担ぎ手のほとんどが漁師、島の経済も社会も時の流れも漁業が中心であったため、何もしなくとも皆が共通の認識を持っていたと思いますが、漁師以外さらに島外の人達が増えていく中で、祭りの核を残していくためには、それを伝え、人々を再びつなぎ合わせる何かが必要なんだなと教えられました。
最後に、礼文島の厳島神社例大祭で肌で感じたこと、それは”人ひとりの大きさ”でした。もちろん重たい神輿の担ぎ手としての存在もありますが、それよりも印象に残っているのは一人ひとりの祭りに対する思いです。それは皆違うものですが、それぞれがとてもくっきりとしている。丸1日の神輿渡御のなかで、一人ひとりの感情の起伏、祭りに対する思いが様々に入り組んでいる感覚を受けます。すましてなんかはいられません、みんな生身で向かっていきます。表現が難しいですが人間くささのあるとても素敵なお祭りです。
初めて訪れた本州最北端の北海道礼文島。人間が生きていくために、魚を食料としていただくことに対する感謝と懺悔のようなものを祭の中で激しく表現しているように感じました。昔は漁師さんだけの祭だったそうですが、今では島を超えて様々な方々が担い手となります。しかし祭が終わるときには立場を超えて皆一体感に包まれ、暑苦しく抱き合う、その姿には心を動かされました。現役の漁師の中でもプライドを持ってやっている若手の方は「今年も祭を終えることができた」とホッとした表情で涙を流していました。とてもエネルギーのあるこの祭をきっかけに島の出身者や関わった方々がかえってくるような、そんな流れをつくることができたらと感じました。
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