海の祭レポート

まちへの愛と誇りで作り上げる、三谷町のハレの日

三谷祭(愛知県蒲郡市) 開催日:毎年10月第3又は第4土・日曜日

海中渡御。200名近くの男衆が、海中で巨大な山車を曳く(写真は北区)

愛知県蒲郡市にある三谷町にて、毎年10月の第3または第4土日(潮位による)に開催されるのが三谷祭(みやまつり)八剱神社・若宮八幡神社例大祭です。お祭りでは、約300年前の故事に基づき、「八剱神社」「若宮八幡神社」という二つのお社を行き来します。シンボルはなんといっても、4基の山車(やま)の豪華絢爛さでしょう。特にお祭り2日目には、その4基の山車と男衆が海へ入る「海中渡御(かいちゅうとぎょ)」が披露され、多くの観光客が見物に訪れます。そして、二日間のほとんどを占めるのが、各区によって神前に奉納される芸能。連日連夜の稽古によって受け継がれる子踊りのほか、各区で異なる様々な踊りが、二社の境内を彩ります。

蒲郡市は、実は今回の取材担当者である今場の出身地。地元のご縁を辿って辿って、今回、三谷祭を担う町内の6区のうち、「中区」に受け入れていただき、体験取材をさせていただきました。

蒲郡市が誇る「天下の奇祭」

蒲郡市は、愛知県東側の三河地方に位置し、南は太平洋(三河湾)、北は山々に囲まれた、人口8万人程度の自治体です。新幹線が停車する豊橋駅まで在来線で10分ほどのため、生活圏としては名古屋より豊橋の都市圏に含まれる印象です。

三谷祭りは、そんな蒲郡市における観光資源の一つとして位置付けられています。観光ポスターを通じて、山車(やま)を曳いて海の中へ入る「海中渡御」の部分が強くフォーカスされるので、「三谷祭といえば海に入るお祭りだな」という程度の認識は、私にも幼少期からありました。

令和元年三谷祭ポスター(三谷祭公式サイトより)

なお、三谷祭の全体像を知るためには公式サイトが充実していてとても便利です。こちらのサイトをご覧になれば、三谷祭に関する一通りの情報を集めることができるでしょう。
三谷祭公式サイト

たとえば、お祭りの由来についてはこう書かれています。

お祭りの由来
今から約300年程前の元禄九年(1696年)八月の或る夜、三谷村の庄屋“武内佐左衛門”は、不思議な夢を見ました。その夢とは「この郷の産子神である八剱大明神が、村の東辺の若宮八幡(若宮神社)へ渡御なされた。」というもの。まさしく神のお告げであると、早速神輿を設え、重陽の節句(九月九日)に神幸(じんこう・神の行幸の意。祭事や遷宮などで神体がその鎮座する神社から他所へ赴くこと)の儀式を行った。これが「三谷祭」のはじまりと言われています。

三谷祭が始まったキッカケとなった300年前の神のお告げ。これを地域の人たちは「試楽祭(宵祭り、現在は土曜日)に「東区の神船若宮丸(応仁天皇)が八劔神社に赴き、日本武尊(やまとたけるのみこと)に東宮に遊びに来るよう挨拶に行き、神幸祭(本祭、現在は日曜日)に「前日応仁天皇から誘いを受けた日本武尊が快諾してお客に行く」というものである。」と、親しみを込めて伝承してきました。

なお、三谷祭においては、三谷町を6つに区分した、「区」という単位が重要になります。宮元の松区を中心に、上区(あげく)、西区、北区、中区、東区の6つとなります。

巨大な山車と、鳴り止まないお囃子

三谷祭のシンボルは、各区が保有する豪華絢爛な「山車(やま)」でしょう。
面白いのは、4つの区でそれぞれ山車の装飾が違うこと。上区(あげく)の「剣の山車」、西区の「恵比寿の山車」、北区の「三蓋傘(さんがいがさ)の山車」、中区の「花山車」となります。東区は例外的に、船の形状をした「神船若宮丸(しんせんわかみやまる)」という山車。そして松区は山車ではなく、神輿を保有しています。

4基の山車。右から上区、西区、北区、中区

この写真にある区の並び順は、古来からのもので、町内渡御の順番や、境内での芸能披露の順番にも結びついています。
この4基の山車の並びもポイントで、軒を一直線に揃えた美しさに、毎年注目する方もいるそうです。山車の上には、伝統的な衣装に身を包んだ子供達が載り、大人顔負けの腕で笛や太鼓でお囃子を奏でます。特に、大太鼓を叩く子供は神様として扱われ、顔を見せることが許されていないません。お囃子はまさにエンドレスで、山車の巡行中、ほぼ途切れることなくお囃子が続きます。かつては、山車に載せる子供達はすべて男の子に限られていたそうですが、少子化や時代の変化を受けて、中区では女の子も大事な戦力になってます。

ちなみに、この山車を動かすために必要な男衆は、なんと20名以上。左右に2本ずつの巨大な横棒がついており、4箇所それぞれに6名程度が張り付くことになります。

我々もお手伝いさせていただきましたが、想像していた大変さではなく、動き始めると、意外にすんなりと進むものです。方向転換も非常にハイテクで、山車の内部に備えられたジャッキで車輪を浮かせることで、巧みに向きを変えることができます。

篠笛と太鼓と踊り〜夜まで続けられる奉納芸能

移動が少ないということも、三谷祭の特徴の一つと言えるでしょう。実は、お祭り二日間の間、山車が動く時間はほんのわずかです。

各区の山車が神社前に集合すると、山車が停められた後、各区が順番に境内へ入り、厳かな雰囲気で芸能(踊り)が披露されます。この奉納芸能こそが三谷祭りの本領であり、2日間の大部分を占めるのです。

上区の子供踊り

中区の連獅子踊り

披露される芸能は6区でそれぞれ異なります。中区で守ってきたのは、古くから伝わってきた十二支踊りの扇踊りを子どもたちが健気に踊る子踊り「東山」と、大正時代に日本舞踊を元に創作した赤髪・白髪を振り乱して踊る様がかっこいい「連獅子」という2つの芸能です。どちらも素晴らしいものですが、日が沈んで真っ暗になった時間帯の神々しさは本当に格別で、息をのむほどです。

踊り子になれる年齢はおおむね決まっており、子踊りは小学生、連獅子は20代の若者。中区では本番4週間前から夜稽古が行われるそうです。稽古は週6回で、かつて子踊りを経験した人が、新たに連獅子を覚えたり、覚えた踊りを後進に伝えていきます。世代が変わっても、こうして伝統を伝えていくのですね。

踊りにあわせて、幅広い世代によって篠笛や太鼓が奏でられます。奏でる皆様の表情が本当に楽しそうで幸せそうで、今も忘れられません。

ほぼ全員が篠笛を持っており、子供から大人までが同じ曲を奏でる

海中渡御〜約40年の沈黙を破って復活した、お祭りの目玉

三谷祭で最も有名なシーンである「海中渡御(かいちゅうとぎょ)」は、お祭り2日目の午前中に行われます。その名の通り、山車を曳きながら海へ入っていくもので、その珍しさと勇壮さによって多くの観光客の心を揺さぶります。なんでも、2箇所の神社(八剱神社、若宮八幡神社)の間はかつて海だったとのこと。したがって古来から海中渡御が行われてきたのですが、1959年の伊勢湾台風後の護岸工事によって海と離れてしまい、40年間近く海中渡御が中止されていました。しかし、地元住民たちの熱望もあり、1996年から復活し、今では、すっかり三谷祭に欠かすことができません。

三河湾を進む山車と、遠くに見える三河大島。三谷祭を象徴する光景

八剱神社から、海中渡御の会場である三谷温泉海岸へ向かう沿道に、観光客の方々が目立つようになります。そして道すがら、曳き手は既にお酒を飲み始めています。そして笑顔で、「今年の海は寒いかな?」「何年前は本当に寒かった」と、気分を上げていくのです。「たまに(毒のある)エイがいるから気をつけて」という警告もありました。

会場の手前である若宮公園の前で山車が一時停車。海中渡御用の、より巨大な横棒に取り替えられます。この作業が本当にリズミカルで、小気味好く進められます。

棒を付け替えると山車を曳ける人数が増えます。1本につき8名程度が張り付くようになり、山車だけで30人以上、前方でロープを引く大勢の男衆を含めると、200名はいるでしょうか。そのまま、海中渡御のスタート地点まで進みます。

海へ入り始める。年によって水温が違うのですが、「今年はマシなほうだ」とのこと

いざ、海に入ります。今年の海の印象は、「あれ、意外とぬるい?」というもの。10月末の海は、凍えるほどではありませんでした。ただ、温度はマシでも、海が歩くのに適した場所であるはずがありません。最も深いところでは、腰まで海に浸かりながらも、横棒を押す腕に精一杯力を込めます。「ワッショイ!」「ワッショイ!」と、ここで初めて掛け声を耳にします。海底は水平ではないので、山車を押しながら、山車が微妙に傾くタイミングがあります。仮にも2階建て以上の高さを持つ巨大さ、それが自分の真横に聳えているわけで、「まさか倒れてくれるなよ」とハラハラしながらも、逃げるわけにはいかないので、緊張の海中渡御でした。

海の中にいたのは、時間にして20分ほどだったでしょうか。岸に上がると、ギャラリーからの拍手。昂っていた感情が、拍手によって少しずつおさまっていくのがわかります。ちなみにこの後は、若宮八幡神社前に山車を停車して、一時的な休憩に入ります。海水を浴びた体を洗う時間に充てるのですが、私は幸運なことに、とある担い手さんのご厚意から、割烹料亭「千賀」さんのお風呂に入れていただきました。ありがとうございます。

「とにかく楽しいんだ」笑顔と誇りのお祭り

三谷祭に参加して最も印象的だったのは、お祭りに関わる皆様の、笑顔と誇りです。大の大人が童心に返って、本当に無邪気な笑顔で祭りを楽しむ光景があふれていました。お世話になった中区若獅子会の山田会長は、年齢こそ52歳ですが、子供のような顔でお祭りを楽しんでおられるのです。

マツリズム大原、今場と談笑する山田会長(真ん中)

笑顔ではしゃぐ山田会長(真ん中)

余所者の我々に、「楽しんでますか?」「飲んでますか?」と、当然のように一升瓶を持って話しかけてくれる方もいました。そんな笑顔で話しかけられたら、思わずこちらも笑顔になってしまいます。こうしたコミュニケーションが本当にありがたく、笑顔が伝染するのを感じました。

エネルギー溢れる10代〜20代の若者の、ヤンチャな楽しみ方も受け入れてくれます。例えば中区では、お祭りの要所要所で、花の飾りを持って、伝統の歌「奥州白石噺」を歌いながら、やんややんやとどんちゃん騒ぎをすることがあります。時には力まかせのおしくらまんじゅうになることもあり、若者がエネルギーを発散しています。

奥州白石噺を歌う若者たち

また、インタビューすると、自分の所属する区の山車について語る時の誇らしさはまさにドヤ顔。他の区には負けないというプライドを感じました。

祭りを取り巻く社会の変化と、担い手の挑戦

最後に、三谷祭の担い手さんの思いや悩みについて、クローズアップしてみましょう。お邪魔した中区は、JRの駅からのアクセスも良い場所なのですが、周りを他の区に囲まれていることや、全国的に進む少子高齢化などによって、慢性的な担い手不足に悩まされているそうです。かつてこの町は漁師町で、漁港もあったそうですが、今では当時よりも縮小されてしまっています。
したがって、現状のままではお祭りを維持することが難しいことになります。

そこで担い手の皆様は、様々な変化に取り組まれています。例えば、山車の上に載ってお囃子を奏でる子供はかつて男の子のみでしたが、中区では平成30年から女の子を入れるようになりました。子踊りの踊り子も同様で、現在は女の子も参加しています。また、特に大人数が必要となる海中渡御については、町外の人も参加できる「準会員」という制度を設けました。

こうした変化を起こしながらも、人材の不足は尽きないようです。「来年は20人連れてきてね」という言葉、本気にしますね!(笑)

(取材後記)今場雅規

今場雅規

蒲郡市出身の私ですが、三谷祭にコンタクトしたのは今回が初めてです。急な相談にも関わらず、お祭りにつないでくださった藤田市議や、保存委員会の竹内様、そして中区若獅子会の山田会長をはじめとする中区の方々には、どれほど感謝しても足りないほどです。ありがとうございました。

お祭りに参加させていただく中で印象的だったのは、とにかく自分の街のお祭りに誇りを持ち、心から楽しまれている表情でした。また、余所者としてお邪魔した我々を、お酒の洗礼や愛あるイジリによって手厚く迎えてくださったこと。そして帰り際に、「来年も来てください」と何度も言ってくださったことに、涙が出るほどの嬉しさを覚えました。『またこの人達に会いに来たい』という愛着を持つには、これだけで十分なのです。

観光資源として有名な海中渡御は、時間としては一瞬です。海中渡御という言葉や写真ばかりが三谷祭の顔としてクローズアップされがちですが、”見るだけ”の三谷祭では、こんな素敵な人たちが住む場所としての三谷町の暖かみを、本当に味わうことは難しいでしょう。三谷祭を味わうには、体験に勝るものはない、と感じます。

そして幸いにも、町外の人が体験する枠組み「準会員制度」はすでに用意されているようです。これによって、海中渡御を体験したい人が、一定程度参加するようになったと聞きます。海中渡御はたくさんの人数が必要となりますので、WIN-WINの仕組みでしょう。

しかし、より三谷町を味わい、楽しみつくすためには、お祭り全日程の体験に勝るものはないと考えます。奉納芸能に必要な稽古は、負担も大きいでしょうが、篠笛さえ覚えることができれば、地域の人に近い立場でお祭りに参加することができるのではないかと感じます。篠笛のレッスン動画は、なんとYouTubeにアップされているのです。

マツリズムとして、今後も三谷祭との関わりを持ち続けられることを祈って、稿を終えたいと思います。

マツリズム取材陣(左から今場、大原、伊藤)

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