海の祭レポート

江差の1年はこの日のために 祭りがつくるまちの団欒

姥神大神宮例大祭(北海道江差町)開催日:毎年8月9日、10日、11日

北海道江差町で毎年8月9,10,11日に開催される姥神大神宮渡御祭は、北前船によりもたらされた京都の祇園祭に強い影響を受け始まった370余年の歴史をもち、北海道で最も古い祭りとされています。今回は丸3日間、お祭りに参加させていただきながら、様々な立場で携わる方々とお話しさせていただきました。豪華絢爛・盛大なお祭りに携わる人たちの存在にも触れながらその魅力をお伝えできればと思います。

古くから開かれた北海道の港町

江差町は北海道のなかでも最も古くから開港した港町のひとつであり、北前船交易が盛んだった江戸時代には「江差の五月は江戸にもない」といわれる程に栄えていました。檜を主とした木材と、肥料・食・油として利用されたニシンの一大産地だったのです。私達は函館空港に降り立ち、レンタカーで約2時間、峠を越え日本海に抜け、江差町に到着しました。町に入ると、開拓地北海道とは思えないような歴史的な風情のある街並みが現れます。北前船を所有していた商家や問屋、蔵、町屋、社寺などの歴史的な建造物が非常にきれいに保たれています。

祭りの流れとしては、13台の山車(江差町では「やま」と呼びます)が3日間に渡り町内を巡行します。9日の宵宮では、各町内を巡行し、姥神大神宮(以下、神社)でお祓いを受ける「魂(たましい)入れ」が行われます。その後また各町内を巡り、夜になると神社で神事が行われ、さらに、その年の山車行列の先頭を決める「先導山車定め」が行われます。この先山車は神様のすぐ後ろをお供できる大変名誉なことであるとともに大きな責任を伴います(今年は私達が参加させていただいた山車が先山車に選ばれました)。10日・11日は本祭り、渡御行列が始まります。地域で保存されている13台それぞれの山車が昼頃から晩の23時過ぎまで、10日は町の海側の「下町」、11日は「上町」を巡行します。10日の最後に行われる「神輿宿入れ」は見どころのひとつでもあり、多くの観衆が神社前に集まります。松明に火をつけた8人が左右4人ずつにわかれ、鳥居から拝殿まで駆け上がります。神輿もそれに続きますが、一度では拝殿に入ることはできず、拝殿の直前まで上がっては鳥居に戻ることを繰り返します。縁起をとって1基目は7回、2基目は5回、3基目は3回と往復し、ようやく拝殿に入ることができます。最後の神輿が無事に拝殿に入ると歓声・拍手が沸き起こります。

町に到着後、私達が参加する山車でかつて頭取も務めた青坂さんをご紹介いただき、お祭りについていろいろ教えていただくことができました。

北前船が運んできた能登流のおもてなし

山車の巡行が始まり、はじめは導かれるがままに青坂さんについていきます。江差のお祭りの中でも特徴的なのが「ふるまい」です。山車を曳きながら行く先々で「結構なお祭りで」と挨拶しながら家々に入っていくと、山車を引く人への労いの気持ちもこめて、各家々ではご馳走やお酒を振る舞うのが習わしとなっています。

この「ふるまい」は、能登半島からやってきたもののようです。江差町の生活文化は、もともと隣接する青森県をはじめとする東北地方の生活文化がそのベースとなっていましたが、北前船が就航するようになってからは、上方や北陸地方、中でも能登半島の石川県珠洲市からの移住者が多数を占めるようになったそうです。珠洲市のキリコ祭りでは「ヨバレ」という招待風習があり、各家庭で親戚や知人、仕事でお世話になっている人などを招いて、この日のために特別に用意した祭り料理「ごっつぉ(ご馳走)」でもてなします。この文化が江差町にも持ち込まれ定着したようです。

一方で、各家庭にお邪魔していると、若衆達が「切り声」と呼ばれる唄を響かせながら、あがってきます。「切り声」はニシン漁の作業唄「江差沖上げ音頭」を原型とするもの。山車に奉賛する若衆が切り声を掛けながら、曳網を商店や関係者の家に入れ、繁昌と安泰を祝うものでした。現在も、各家の商運と家内安全を祝い、ご馳走と御祝儀をいただくというかたちになったそうです。若衆のはりのある唄声がキリっとした空気をつくります。

移住や交易の歴史のなかで、様々な文化が入り込み、そして江差のものとして定着していきました。多くのモノと文化を運んできた北前船の存在の大きさに想像力が膨らみます。

迫力ある若衆たちの切り声

町民全員参加、誰にでも役割がある凄さ

江差のお祭りは、町民全員がそれぞれ役割を持っています。生まれたときから祭りに参加するのが当たり前。お祭りの朝から夜まで子供でも全て参加しています。お祭りに参加していると、全ての年代層・男性・女性が隙間無くそろっている、そんな印象を受けます。

小中学生は「お囃子」、高校生になると男の子達は「線取り」、それを卒業すると「若衆」といったように成長に伴い、役割・責任も大きくなっていきます。お祭りの最中、高学年・中学生が低学年や小さな子の面倒を見る、高校を卒業した若者が高校生達を盛り上げる、というような光景も見られ、都会の生活のなかではなかなか見られない、そして創ろうとしても難しい、大切な、地域に必要な要素があることに気づかされました。素直に「すごくいい」と思い、そんなものが自然にあることに少しの羨ましさも感じました。

江差町の皆さんは「自分は祭りバカだ」とよく言うそうです。それも、このように皆に役割があり、個々人がお祭りを担う主役となることで、一人ひとりのお祭りに対する想いが醸成され、そして町全体として大きな誇りになるのかと感じます。

こうした皆が楽しみにするお祭り。それを支えているのが各家庭のお母さん達です。ふるまいの料理をはじめ、子供達のおやつの用意、広場に開く夕食どころの準備・片付け等、表舞台の裏側でお祭りを支えています。「お祭りでは、子供たちや皆が最後まで安全に楽しく過ごせるかを常に思っている。」と青坂さんの奥さん。母の想い、関わり方を感じました。

子供達のおやつを用意して待つ地元のお母さん達

江差っ子の1年はこの日、この時のために

10日・11日の昼前から夜の23時過ぎまで、山車を曳き町内を練り歩きます。力を合わせ、仲間と語り合い、晩になるにつれて皆の一体感は増していき、祭りに集まるエネルギーも最高潮になります。子供達のお囃子もヒートアップ。13台の山車が揃う見せ場の迫力。1年間、江差っ子がずっと楽しみにしていたのは、この日この時なのです。各山車が負けじとその勇姿を競うように並びます。この時の盛り上がりは言葉では言い表せません。

13台の豪華絢爛な山車が揃う、祭一番の見せ場

お囃子もヒートアップ

江差っ子は、皆この日には帰ってくる

お祭りには、就職や転勤で町外に出た方、転勤で江差町にやってきた方、仕事や知人をきっかけに毎年お祭りに来ている方、様々な立場の方が参加していました。皆「このお祭りにだけは必ず帰ってくる」といいます。一緒の山車を曳いていた若い女性は、小学校入学前に町外に転校をしたそうですが、転校後も欠かさず毎年このお祭りだけは来ているそうです。お祭りの何がこんなにも惹きつけるのだろうと思い、聞いてみると、「楽しい祭りだから。」の一言。この言葉に全てが凝縮していると感じました。「この祭りのために一年間仕事をしている」という就職をきっかけに町外に暮らす女性、「このお祭りを本当に残したい。盛り上げていきたい。」という仕事で本州で家族で暮らす男性、江町町出身でも江差町育ちではないけれど、このお祭りが好きで毎年来ている人達、お祭りに参加していると、皆このお祭りが大好きだということがストレートに伝わってきます。

10日の朝、子供達が「ああ、もう10日になっちゃった。どうしようー。」と言っていました。すごい。子供達にとって一年の一番の楽しみがこのお祭りになっています。皆、お祭りが終わった瞬間に、次の年のお祭りまでのカウントダウンを始めるそうです。子供だけではなく大人もです。

地元から参加する新婚夫婦の2人

仕事のつながりをきっかけに町外から参加する2人。今年で8回目だそう。

家族を超える祭りの団欒

私達も3日間、山車を曳き、そして計20を超えるご家庭で「ふるまい」をいただきました。海の町ならではの海産物や各家庭で引き継がれてきた郷土料理などがテーブルいっぱいに並びます。ふるまう側も家族総出、家族団欒を越えた今まで経験したことのない団欒がそこにありました。年に一度、普段はなかなか話せない町内の人たちと顔を合わせ、最近の話や懐かしい話を交わす、こうした側面も、「盆でも正月でもなく、この祭りには必ず帰ってくる」という町民の皆さんを惹きつけるひとつなのかなと感じました。とても暖かな空間です。

各家庭で行われるふるまいでは山車への労いの気持ちもこめてご馳走がふるまわれる

祭り続けていくために 新たな担い手をコーディネート

私達の参加した山車は行政機関や企業の出張所が多く立地する地区で、曳き手の多くも転勤等で江差町に来た方々でした(町内の方々だけでは曳くことが難しくなってきているのです)。でも実は、こうした現状があるのも町外から出張所の所長としてやってきた茂野さんの働きかけのおかげだということを知りました。今から10年弱前は、町外出身の方々の参加はほとんどなく、曳き手不足にも悩まされていたそうです。そうしたなか、当時の所長である茂野さんが、同様に転勤で来ている方々・組織に働きかけ、曳き手を募ったそうです。これをきっかけに翌年以降もその流れが出来、今にも継続しています。茂野さんは今年からは他の地域へ転勤となりましたが、今年のお祭りにも来ていました。町内会の皆さんは「本当にありがたい。」と言います。地元の方々からの信頼もとても厚く、茂野さんの存在の大きさをまじまじと感じました。

地元の方にとって、はじめは町外の人の参加に対しては葛藤もあったかもしれません。しかし、ひとつのきっかけによって、将来に続く新たな流れが出来ています。そこには、地元の方々のお祭りを継続していきたいという強い思いがあったことはもちろん、そのうえに外の人だからこそ出来るコーディネートがありました。

茂野さん(中央上)と参加者

江差町で育ちお祭りを支え続ける現役漁師の青坂さん

(取材後記)小坂典子

小坂典子

お祭りが続く。地域が残っていく

人と人の再会、町と人のつながりとその蓄積を、生に感じました。お祭りのときの皆さんの表情が本当に印象的です。一回参加するだけで、”惹かれてしまう”、それは華やかさや豪華さ、迫力ではなく、町の人の温かみ、人の再会の場、子供から大人、男性・女性、皆がそれぞれの立場から、お祭りの「空間」をとても大切にしているところ、そんなところにあると感じました。そして、お祭りがあることによって”地域”が残っていくということを感じます。たとえ、町の人口が減っていったとしても、このお祭り(姥神大神宮渡御祭)によって人々はつながり、江差町は江差町として続いていくと感じます。お祭りの響き、人の表情が、今でも残っています。是非、皆さんも体感してみてください。

(取材後記)大原学

大原学

カッコよくてあたたかい、エネルギー溢れる北海道最古の祭

この祭には人が帰ってくる。出身者はもちろん、仕事で駐在していた人も「この祭の時だけは」と江差に足を運びます。しかもそれが8年目とか10年目とか、ヨソ者であっても特別扱いせず、祭を共に盛り上げ楽しむ仲間として接してくれ、一人でも多くの人に「帰ってきてほしい」という気持ちを感じる。これだけ混ざれるのは江差の方々、江差を離れた方々双方に人望の厚いコーディネーター役が存在するのが肝なのかと思いました。漁師町ならではの豪華なもてなしにはとても驚き、本州に比べて歴史の浅い北海道とは思えないほど、伝統を感じられる勇壮なお祭りで、お囃子が激しくなりテンションが最高潮に達する最終日のエネルギーはすごいものがあります。また来たい!と思わず思わせてくれる祭です。