海の祭レポート

「祭りは生き方」伝統を受け継ぎ共に力をつけていく

土崎神明社祭の曳山行事(秋田県秋田市)開催日:毎年7月20日、21日

肴町の曳山と皆さん

土崎神明社祭の曳山行事(以下、「土崎港曳山まつり」「祭り」)は、1620年から土崎神明社の例祭として土崎(秋田県秋田市)の方々に親しまれてきたお祭りです。今年は全30台の曳山が市内を練り歩きました。国の重要無形民俗文化財に指定され、2016年にはユネスコ無形文化遺産にも登録されました。今回は土崎市出身で今は都心で暮らす安田龍平さんと、その幼馴染で土崎市で暮らす森澤哲也さんにお世話になり、お祭りへ参加しながら、まちの様々な側面に触れさせていただきました。

まちが祭りに染まっていく

秋田駅からJRで約7分、土崎駅に到着します。曳山まつりの期間中、何度も往復をしましたが、土崎駅に降り立つと、なぜだかいつも少し遠くに来た感触を得ていました。わずか7分、秋田とはまったく違う空気感、どこかホッとする温かい空間がありました。

7月20日・21日、毎年この日は、土崎のまちが祭りに染まります。20日は宵宮、21日にかけて「ジョヤサー、ジョヤサー」という曳山を曳く人々の掛け声とともに、祭りの色がどんどん濃くなっていきます。

20日の宵宮では子供たちが主役です。曳山を子供たちが中心に曳いていきます。私も一緒に曳かせてもらいましたが、本当に重たい。半日曳くだけでも身体にきます。曳山が止まってしまうこともしばしば。だけれど、周りの大人達はめったなことがない限り、手を出しません、「今日は子供たちが曳く日だから」。子供たちの表情は大人顔負け。全身ちからいっぱいで曳き、身体の底から「ジョヤサー」と声を出します。自分たちでやり遂げる、自分たちの曳山だ、という強いエネルギーと、子供達ながらの責任感を感じ、こうして次世代の祭男が育っていくんだと実感したときでした。

曳山を曳く子供たち

21日は本祭り。今日は大人達が本気を出します。「ジョヤサー」の威勢も増していきます。お祭りは、曳山の総括、運行管理、安全管理や食事・飲料の支給、そして曳子、お囃子、演芸、様々な役割によって構成されます。組織的な完成度の高さに驚かされます。曳山に中心的に携わる方々、お囃子や演芸の方々、それぞれが曳山まつりに向けて年間を通じて準備・練習をしてきているとのことです。「祭りは生活の一部」「祭りがあるからここに住んでいる」こうした言葉が地元の方々から自然と出てきます。

曳山を曳きながら、まちの各所で休憩があります。休憩中には、お囃子が空間を盛り上げ、演芸の女性達が舞い、曳子達の目を癒します。必要なものが隙なく整のっている、そんな印象を受けました。

祭りに向けた組織がしっかりとある、曳山を動かす緊張感と誇りを胸に堂々と祭りを運営する大人たちをみて、子どもたちはその姿に憧れをいだくことでしょう。

お囃子と演芸の様子

北前船によって運ばれてきた文化

「これ知ってるかい?」宵宮の晩にお邪魔した安田さんのご実家で、お祭りにはかかせない伝統食、カスベの煮つけをいただきました。お話を伺うと、土崎神明社祭曳山行事は別名「カスベ祭り」ともいわれているそうです。「カスベ」とはアイヌ語で「エイ」を指します。土崎港は古くからの港町。江戸時代から明治時代にかけては西回り航路で活躍した北前船の重要な寄港地として栄え、北前船によって北海道から様々な物産が土崎に運ばれていましたが、カスベもそのひとつと考えられています。「うちのはちょっとしょっぱいかもしれないね」と安田さんのお祖母さん。とてもおいしく、いくらでも白ご飯がすすんでしまう味でした。それぞれの家庭で代々作られてきた味に触れ、お祭りを家庭で支えるお母さん達のあたたかな存在を感じました。

北前船のゆかりは曳山行事でも感じられます。お囃子の演目「あいや節」は九州地方で発生した「ハイヤ節」(熊本の牛深ハイヤ節など)が北前船によって北海道はじめ各地に運ばれたとされています。また、曳山を曳きながら声を合わせる「音頭上げ」は、今年の取材で訪れた北海道礼文島や江差町の祭りでも伝わるニシン漁の作業唄と波長も言葉も非常によく似ています。こちらも元は伊勢神宮の遷宮行事の「御木曳」の木遣唄が北前船に乗って漁師たちの間に広まったとされています。

北前船の寄港地であり、交易の拠点として栄えた土崎ならではの文化の蓄積が感じられました。

町の中心が変わった、青年会を立ち上げ曳山を継承

これだけ長いあいだ地域に親しまれてきた盛大な行事ですが、時代の変化に伴う影響は受けています。今回、参加させていただいた肴町は、開町約300年にもなる土崎の中でも古い歴史のある町であり、かつては土崎の中心部でした(江戸時代には魚の専売権も与えられ活気のあふれる町だったそうです)。しかし、土崎の港町としての役割が薄れるに従い、町内の人口も減少、現在は30世帯あまりとなっています。そうしたこともあり「なかなか曳山を奉納することが難しくなってきている」とのことでした。

こうした状況の中、曳山をコンスタントに奉納できるようにと市内の有志の若者が集まり、今から10年程前に、肴町の青年会が立ち上がりました。

「小さい頃から祭りバカだった」という哲也さん。子供の頃から、肴町だけでなく他の地区の曳山の手伝いに行ったりしていたそうです。こうした昔からの祭りへの関わり、祭りを介した横の繋がりがあったからこそ、同じ思いの仲間が集まり、変化を生み出すことが出来たのかなと感じます。そして、今年のお祭りでは、哲也さんの小中学校の同級生が市外からも集まりました。今回、お世話になった安田さんもその一人です。

※土崎では、各町内それぞれで立てる計画に従って数年毎に曳山を奉納していますが、肴町のように比較的小さな町内は、町内同士で友好町内として組み、協力しあいながら人手不足等を補ってます。例えば、肴町が曳山を出す年は、友好町内の曳山は出さずに肴町の曳山に協力するといった感じです。

「祭りは生き方」

お祭りの存在について哲也さんに伺いました。「祭りは生き方」。祭りは地域のなかで脈々と受け継がれていますが、ただ形式的に受け継がれていくものではなく、地域の先輩方への敬意や、義理・人情、プライド等、様々な思い・意思を伴って受け継がれていきます。「祭りはビンテージジーンズのようなもの」とも哲也さんは言います。ビンテージジーンズは履いてきた人と馴染み、履けば履く程それぞれの味が出てきます。お祭りも代々受け継がれていくなかで、受け継いだ人達の思いや解釈が加わり、この地域固有のものとして更に力をつけ、次の世代に伝わっていく。なるほど、まさにそうだなと哲也さんの言葉をストレートに感じました。哲也さん達も、伝統を受け継ぎ、自分たちの祭りとして一緒に育ち、新たな力をつけています。新しく立ち上がった青年会も、今の社会のなかでお祭りを続けていくための新たなそのひとつだと思います。

今回のお祭りへの参加、そして哲也さんのお話から、土崎の土地で脈々と受け継がれてきた一本の筋のようなものを感じました。時代はどんどん変わっていきますが、お祭りがあることによって、土崎の歴史・文化、そして各年代を生きた人々の思いが語り継がれていく様子が見えたような気がします。

今回お世話になった哲也さんと肴町の曳山

(取材後記)小坂典子

小坂典子

今回のお祭りのなかでも、子供たちの本気の表情、そして哲也さんのストレートな言葉が強く頭に残っています。子供たちもお祭りと一緒に育ち、お祭りに思いを注いで自分たちなりのお祭りに力をつけていくのかなと、子供たちとお祭りの将来が楽しみになります。もしかすると、進学・就職で土崎を離れる時期も来るかもしれませんが、お祭りがあることで、帰る場所や一緒になれる仲間は一生続いていくだろうなと思います。

急速に世の中が変化していくなかでも、祭りを思う人が育ち、そして祭りを介して人の繋がりが築かれていく、こうした側面があることに、言葉ではうまく言い表せない安心感を覚えるとともに、こうした側面が”地域”が続いていくことに必要なのだろうと感じます。力強くも、懐が大きく温かい、そんなお祭りでした。また来年、あっという間です。